株式会社カネミツ

創業ストーリー 企業情報

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  1. 1947 Founding Story

    1949 大阪郵政局の「区分かご(ジュラルミン本体にアルミを使用)」を受注
    1952 前田金属工業(株)の「トネ印工具箱」の製作開始
    1955 三菱重工業(株)京都製作所「かつら工具箱」及びジープと発動機の板金部品の製作開始

    ものづくりの始まりは、
    「町の溶接屋さん」

    当社の創業は終戦から2年後の1947年1月、まだ日本が連合国軍の占領下に置かれていた頃のことです。金光範一は明石市東本町に工場を建て、部品修理などの溶接を行う合資会社金光銅工熔接所を創設。戦後の復興を底辺で支える町の溶接屋さんとして産声をあげました。
    その時、2代目社長の金光之夫はまだ15歳の少年でした。中学校に通う傍ら大好きなものづくりの世界に心躍らせ、迷うことなくその道に飛び込み、翌年3月には中学を中退し正式に金光銅工熔接所に入社しました。
    その5年後(1952年)、初代社長の死去に伴い金光之夫は20歳の若さで2代目社長に就任しました。以来2009年まで57年間に渡り、常に Only Oneのものづくり を目指す企業のトップとしてカネミツの成長と発展に尽力しながら、技術の道をまっすぐに歩きつづけました。

  2. 1957 Founding Story

    1960 回転成形法による「Vプーリ」開発
    1962 ヤマト消火器及び岩谷産業向け「ボンベ」製作開始
    1964 東洋工業(現マツダ)のファミリア用「Vプーリ」を回転成形法により製作開始

    「回転成形法」発明

    戦後日本の高度成長期を支えた炭鉱―しかし、炭鉱には炭塵爆発事故の可能性が常にあり、そこで働く人たちは日々いのちの危険と背中合わせでした。そのため各炭鉱では事故が発生した際、真っ先に入坑し、人命救助や破損個所の処理に従事する救護隊が組織されていました。その救護隊の仕事に使われていたのが酸素ボンベなどを収納する背負型の「救命具」です。
    当社は1957年、川崎航空機工業神戸製作所よりその製作を依頼され、扉部外周縁の加工に苦心の末、回転させながら加工するという考えに至り、保有していた旋盤を利用して「救命具」を完成することができました。
    その経験が直接的なヒントとなって独自の回転成形機の開発に辿りつき、プーリを一枚の鋼板から一体成形する「技術のカネミツ」と称される自動車用プーリの最大手企業に成長する礎になったのです。

  3. 1967 Founding Story

    1967 久保田鉄工(現クボタ)、三菱重工業、川崎航空機向けプーリ製作開始
    1968 ヤンマー農機、佐藤造機、井関農機向けプーリ製作開始
    1969 ダイハツ工業、日立製作所向けプーリ製作開始

    情報を鋭くキャッチ、
    他社に先駆け「特許権」を取得

    1964年に日本で初めて一体成形した「Vプーリ」が東洋工業(現マツダ)で採用されました。
    「より多くのお客様に、カネミツ独自の技術で作り上げる優れた製品をお届けしたい」― その思いと自社技術への誇りを胸に、2代目社長を中心にダイハツ工業はじめデンソー、アイシン、日産自動車などへ「Vプーリ」の販路拡大に精力的に動きました。
    1975年には、「新しい形状のベルト(ポリVベルト)が急速に普及する」という情報を入手し、他社に先駆けて「ポリVプーリ」の開発に着手しました。その製法で特許権を取得したことが、その後の成長の大きな糧となりました。

  4. 1977 Founding Story

    1981 ポリVプーリがトヨタセリカで採用され製作開始
    1983 ポリVプーリが日産自動車、マツダなどで製作開始

    企業存続の危機を、
    さらなる「飛躍のバネ」にして

    1978年、現在の主流である「ポリVプーリ」の開発に成功した当社は、業界誌『プレス技術』(1979年8月号)に<自社開発“回転成形法”で急成長>と紹介されるなど、成長の波に乗ります。
    1980年には三木工場の第1期工場が竣工し、プーリの量産体制を確立しました。その2年後、「ポリVプーリ」が初めてトヨタに採用されたことで、他のカーメーカーへも採用され、シェアを大きく拡大していきました。
    しかし、1983年3月、急成長に沸くカネミツを待ち構えていたのは、トヨタのソアラ用「ポリVプーリ」が破損しリコールになるという衝撃的な事態です。企業存続の危機とも言える大きな試練に直面しましたが、決して失意に沈むことなく迅速かつ全力で原因究明にあたり、的確な再発防止対策を講じることができました。それが契機となり現在の品質保証体制の基礎を築き、プーリ専門メーカーとしての地位を高めることになりました。

  5. 1987 Founding Story

    1988 リングプロジェクション溶接法により「ボス接合プーリ」を開発
    1992 「ボス一体プーリ」を開発
    1996 阪神淡路大震災の被災経験を基に防災危機マニュアルを整備

    「町工場」からの変革

    1982年、3代目社長金光俊明が入社し、これまでの町工場的な企業経営及び旧態イメージから脱皮し開かれた企業になることを目指した活動を開始しました。人材教育&会社改革にコンサルを投入、5Sなど現場改善活動にはじまり、KQ-UP活動(日々の仕事の見直しと質の向上をめざす活動)、QCサークル活動の導入、原価低減活動、ジョブチャレンジ制度導入、国際規格ISO9001の認証取得など、積極的に新しい手法を取り入れて企業体質を強化していきました。
    また、ボス部が一体となった「ボス一体プーリ」を開発し、名実ともに鋼板製プーリメーカーの地位をゆるぎないものにしました。

  6. 1997 Founding Story

    1998 「トランスミッション部品」を開発
    2001 「インフレーター(エアバッグ部品)」開発
    2005 「スプロケット」、「EPS部品」製作開始
    大阪証券取引所市場第二部に株式上場

    「海外展開」のスタート

    1993年、ドイツ製のプーリ製造機械の購入検討をきっかけにドイツのプーリメーカーと技術交流が始まりました。その後もイギリスのプーリメーカーを視察するなど海外への事業展開を模索し、1999年にタイに現地法人KANEMITSU PULLEY CO., LTD.(KPC)を設立しました。さらに2006年、中国広東省に現地法人佛山金光汽車零部件有限公司(FKC)を設立し、海外への事業展開を本格的にスタートしました。
    また、1998年に、2代目社長金光之夫が「鋼板製ポリVプーリ」の開発功績により科学技術庁長官賞を受賞、その翌年には中小企業庁「中小企業センター賞」に選定されました。

  7. 2007 Founding Story

    2007 タイ子会社内に KANEMITSU THAILAND TECHNICAL CENTERを設置
    2010 「炊飯器部品」を開発
    2015 長崎県長崎市にリサーチセンターと長崎工場を竣工

    「新たな事業分野」への挑戦

    自動車エンジン用プーリの世界最大手企業にまで成長を遂げた私たちが、次代に向けて掲げた大きなテーマの一つが「新たな事業分野への挑戦」です。2007年、タイのKANEMITSU THAILAND TECHNICAL CENTER(KTTC)設置を皮切りに、2011年には新商品開発の中核となるテクニカルセンターを加西工場内に併設。さらに2014年、長崎市に産学共同の研究・開発施設としてリサーチセンターを開設し、それぞれの緊密な連携をもとに機能強化を図りつつ、トランスミッション部品、エアバッグ部品、炊飯器部品など、プーリ以外の分野への商品化・拡販を進めました。
    また、拡大するアジアでの事業を支えるローカル技術スタッフを日本に招いて行っている研修の継続実施・強化をはじめ、すべての生産・開発拠点でグローバルに活躍できる技術者・管理者の養成制度を新設するなど、当社の次代を担う人材の育成にも注力しました。変化の先にある未来を見据え、独自の知恵と技術を結集してきました。

  8. 2017 Founding Story

    2018 バーチャル試作(KAVS)導入
    ※KAVS:Kanemitsu Analyze Virtual Simulation
    松本精工株式会社を子会社化
    2020 株式会社津村製作所を子会社化
    2021 先行開発室設置

    独創技術で描く、
    「ものづくり」の夢に向かって

    2018年に当社独自の流動解析システム(当社名KAVS)を導入し、バーチャル試作が実現しました。
    自動車業界では100年に1度といわれる大規模な変革が起きています。しかし、どんなに時代が変わっても、私たちの活動の根本にあるのは、社会に役立つオンリーワンを作る、社会に役立つ会社であり続ける、という創業以来揺るぎない精神です。
    私たちが培った技術の大きな可能性を信じて、「電気自動車用部品」や「ロボット部品」など社会に求められる商品の開発を目指し2021年に先行開発室を設置しました。
    これからもカネミツは全力でものづくりの夢を追い続け、カネミツの技術によって明るい未来を描いていきます。